2010.07.21

輸入盤 vs 日本盤

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『カルロス・アギーレ・グルーポ』ジャケット写真。一枚一枚が手書きのイラストで、絵柄も違う、というオリジナル版のコンセプトが日本版でも再現されている。)

半年ほど前からtwitterを始めてみて良かったことの一つに、誰か第三者の思いもよらない意見に出会える、ということがある。
とりわけ僕の場合は、音楽と消費にまつわる話題となると、これはもう、どうしても敏感に反応してしまう。一般の方とプロとを問わず、いやむしろ、普段なかなか話を聞けないユーザーの意見、その一端が垣間見れるのは勉強になるし、色々身につまされたりもする。
自分はリアルタイムで参加できなかったけれど、つい昨日、洋楽ファンの間で輸入版と日本版のどちらを選ぶか、そんな話題が盛り上がっていた。日本版を制作したり発売している立場として、常日頃思うところのある話題で、一般に知られていない事実も多いことがわかったので、以下にまとめてみる。


プロ・アマ問わず、洋楽ファンの購買様式としてあがっていた意見を見ると、大まかにいってこの二つに大別されるみたいだ。

①とにかくオリジナル重視の輸入版派
②解説を読みたいので、できる限り日本版派


だけどそもそも、いわゆる洋楽における輸入版と日本版は、どう違うのか。
端的にいって、発売元が国内か海外か、という定義になるのだが、実際の商品としてはこの三つに大別される。

①輸入版: 海外で制作・製造されたレコードが、既製品として輸入されたもの
②日本版: 海外で制作された音源マスターをもとに、日本でレコードを製造したもの
③輸入版国内仕様: 既製品として輸入された商品に、オビ、解説等を封入し、定価設定して売り出されたもの


この他にも例外は色々あって、盤だけを輸入して、ジャケットは日本で作られたものや、その逆のケースなどもあるけれど、おおまかにいって上記の3種類が存在する。ユーザーとして賢い買い物をするには、まずこのことを知っておくことが肝要だ。

①と②では、ジャケットは別ものと思っていたほうがいい。
そして盤のプレスも、製造している工場が違うので、同じマスターを使用していた場合でも、厳密にいえばその音質には違いがある(もっともこれは、同じ工場の同じライン、同じスタンパーで作られたものであっても、1枚目と5000枚目にプレスされたものでは差異があるわけだけれど)。
とすれば、オリジナルを尊重したい輸入版派としては「それみたことか」となりそうなものだが、実際には日本版のほうが<優れた>商品である場合も少なくない。日本版制作者にとって、輸入版との競合は「宿命」なので、意識的な制作者であればあるほど、輸入版にはないアドバンテージを創出して、ユーザーに選ばれる努力をする。具体的には、日本盤のみのボーナストラックを収録したり、リマスタリングを行ったり、紙ジャケットなどの豪華仕様、歌詞、解説、手に取りやすい価格設定、または世界初CD化など、そもそも日本版でしか入手できない企画の場合もある。

つまるところ、海外版と日本版のどちらが優れているということはなく、オリジナル版を改悪したものも、逆にオリジナルを凌駕する優れた仕事もあるというわけだ。

ところで、いちユーザーとしての自分が商品を選ぶ際には、オリジナル版のリリース元であるレーベルのクオリティと、日本版のライセンシー会社の仕事ぶりをみて、どちらを買うか判断している。
例えば、音の良さに定評があって、アートワークも一貫した美意識を打ち出しているECMやNonesuchといったレーベルの商品なら、迷わずオリジナル版を選ぶことが多い気がする(どうしても解説や歌詞が気になる場合は、日本版を買い足す)。
日本版でも、例えばセレストが発売するタイトルなどは、ジャケットのデザインや、ブックレットに記載されているデータへの信頼があり、なおかつオリジナルの良さを改悪しない確信が個人的にあるので、輸入盤よりも日本版のほうを率先して選ぶことにしている。
そして悲しいことに、ここの日本版だけは絶対買いたくない、というレーベルもいくつか。

NRTでは独自企画による原盤制作も行っているので、全ての例に当てはまるわけではないけれど、ライセンス商品を発売する際は、当然ながら輸入盤よりも総合的に優れた作品として世に送り出せるよう努めています。タイトルによってその長所は違うけれども、いちユーザーとしての視点に立脚しつつ、色んなニーズを盛り込み、出来るかぎり良心的なリリースを心がけています。
当たり前の話だけど、海外の原盤元やアーティストと相談の上、製造を行っているので、オリジナル版を超える商品を作ることは相手先の信用にもつながる。またユーザーにそのことが評価されれば、結果的にいいセールスを生み、ますます海外の音楽を紹介できる(発売できる)という循環を生みやすくする。
実績も信用もほとんど全くのゼロからスタートした当レーベルが、ジルベルト・ジルやアントニオ・カルロス・ジョビンといった世界的巨匠の日本版を発売できるようになったのも、こうした積み重ねがあったりするのである。


考えてみれば、どんなにいいジャケットを作ったとしても、ネット上では質感までは伝わらない。だからこれも時代にそぐわない作り方かもしれない(輸入版が10円でも安ければ、何も考えずにそちらをポチッとしてしまう経験は、自分にも覚えがある)。けれどきっと、お客さんの手に届いたときには、何か感じてもらえるのではないか。報われるかどうかわからない、そんな一線を守りつづけられるかどうか、つまるところそれも制作者の意地みたいなものに依っている。だから自分も、そんな気概が感じられるレーベルのものは、ついつい買ってしまったりする。
個人的にはデジタルで買うこともあるので、その良さも知っているつもりだけれど、物づくりのストーリーを大事にする制作者がいる限りは、パッケージ商品を買い続けるに違いない。
リアル店舗とパッケージ制作者が一蓮托生だという一因も、ここにある。